【おもいでの部屋】はじめての東京、高円寺でのアトリエ暮らし。|tsunekawa(クリームソーダ職人)
きっと、だれにでもある思い出の部屋
住んだ部屋には人それぞれ、そして様々な思い出がある。そんな部屋の思い出を覗いてみたくはないだろうか?
忘れられないあの部屋で起こったこと、あの部屋で過ごした大切な時間、「おもいでの部屋」についてリレー形式で綴ってもらうこのコラム。
第3回は、ファッションデザイナー・クリームソーダ職人のtunekawaさん(@tsunekawa_)のエピソードをお届け。
はじめての
思い出の部屋といえばはじめての上京、はじめての一人暮らしをした家のことを思い出してしまう。
服飾学生だった自分は東京にはコンテストや出展で学生の頃から何度か訪れていていつか住むんだろうなあ、と漠然と考えていた。
物件を決めたその日も、確かイベントの出展で東京に来ていた。そして、何気無くふらっと入った不動産屋で半分成り行きのような形で決めてしまった。
特に言葉にうまく表せられるような明確な理由もなく、いくつか案内をされた物件をみてなんとなくああここにしようと直感で思った。3、4箇所回って最後の物件だった。
星の模様が彫られているすりガラスから西陽が差してそれがなんとなく心地よいと感じてしまったのだ。
その直感のようなものに任せて決めてしまった場所こそ後になって自分自身の将来に大きく関わるような場所だとは当時まったく想像もしていなかった。
東京での暮らし
JR中央線の高円寺駅をおりて北口へ歩くとすぐ目の前に純情商店街という味のある名前の商店街がある。
名前の通り、活気があってその商店街を歩けば元気をもらえるような商店街だ。
良く花屋で1輪2輪、花を買い、小腹が空いた時にはパン屋さんに寄ったり、洗濯機が壊れた時には電気屋さんにお世話になったりもした。
小杉湯という銭湯があって知人が来た時にはよく使わせてもらったものだ。夕方、少し日の沈んだ商店街を火照った身体を冷ましながら歩くのが好きだった。
その商店街を抜け少し住宅街を歩いた先にある築50年を超えてた木造のアパートが東京に来て初めて住んだ家だ。
お世辞にも綺麗とは言えないが良い言い方をすれば味のあるアパート。近所のおばあちゃんは毎朝挨拶をしてくれたし特に東京に知り合いがいるわけでもなくて時折寂しさを感じていた身としては自分にはとても安心感があった。
バルコニーには気づいたらたくさんの植物。引越した今でも大切に育てている。
春はしだれ桜が見えて、夏は木漏れ日、秋には楓の木々が色づく風景がみえるような古いなりにもそこで暮らす日々には四季の移り変わりを感じていて心地良かった。
冬は隙間風がちょっと寒いけれど。
近所の公園には木漏れ日が溢れていて、よくパンと珈琲を買って休憩していたり。
引越したのはちょうど5月が終わる頃で小さなバルコニーの窓を開くとすぐ近くにジャスミンの花が満開に咲いていて甘い匂いがしていたのを覚えている。
当時の仕事としての肩書きはいわゆるファッショデザイナーだったのだが、どこか会社に就職をしていたわけでもなく、1人で全ての業務をこなしていた。
引越して東京に来たのも大きな夢や憧れを抱いていたからなんて理由もなくただ仕事がしやすい、それくらいの理由しかなかった。
洋服をデザインして服を作りお客様に届ける。2つある部屋の1室をアトリエにしてそこに大きな机とミシンが2台。
アトリエとして使っていた小さな一室。ここから入る光が好きだった。
窓を開けながら作業ができるうちは春夏秋冬の自然の匂いが風と共に感じれるような、自分はそんな環境でする仕事がとても好きだった。
クリームソーダ
そんな日々が2年くらい続いて安定もしていた頃に少しだけ環境が変わり始める。
仕事の合間に息抜きも兼ねてクリームソーダを作っていた。それを作ってSNSに毎回載せて行くうちに多くの人が休憩時間に作ったささやかなクリームソーダの写真を見てくれるようになったのだ。
春夏秋冬を身近に肌で感じられるようなそのアトリエ兼家では季節を過ごして行く中で桜色のクリームソーダ、夏空のように青いクリームソーダ、紅葉の色付きを表現したクリームソーダや雪のように真っ白なクリームソーダなど様々なクリームソーダが生まれた。
初めて作ったのは確か夏のことで青いクリームソーダを当時の友人と作ったのがきっかけなのだろう。
初めて作るクリームソーダがあまりに綺麗でそこから休憩時間の合間を縫っては様々なクリームソーダを作るようになったのだと思う。
そんな自分のクリームソーダをSNSで見てくれていた人たちに飲んでもらいたいと思うようになって、いつしか日本全国に作りに行くようになった。
旅にでて少しずつ家にいる時間が減ってきても、東京に帰り高円寺駅を降りて純情商店街を歩いていると暖かくて懐かしい気持ちになる。ああ、帰ってきたんだなと自然に思えてしまうのは高円寺の魅力なのだと思う。
さようならとただいま
住み始めて数年。今年の6月にいよいよその家の取り壊しが決まった。
正直、心地良さを感じていたその家がなくなってしまうことにいまいち実感が湧かなかった。そんなことを考えながら気付いた時には引越しで忙しい日々が淡々と過ぎていく。
荷物も家具もなくなってやけに広く感じる部屋に5月の終わり頃。一人になった部屋に西陽が差し込む。それは暖かさの中にほんのり寂しさを含んでいて初めて引越してきた日のまだ何もない日のことを思い出す。
多くのクリームソーダが生まれた家。少しだけ人生が変わってしまった家。
そうして一度はさよならをした今はもう無い家があった街に来年、自分のお店が生まれる。
人生はまだまだ何が起こるかわからない事だらけだ。けれど今はそれがちょっと楽しくて、まだもう少し生きれそう。