【解説】映画『翔んで埼玉』が壮大かつ大真面目な物語である7つの理由

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5:BLも当たり前に描かれる

映画「翔んで埼玉」場面カット
(C)2019 映画「翔んで埼玉」製作委員会

『翔んで埼玉』の原作マンガの作者は『パタリロ!』でも知られる魔夜峰央である。連載されていたのはなんと1982年~1983年のことで、30年以上経ってからSNSで話題となり、復刊した単行本は2016年の時点で発行部数50万部を突破、そして2019年に奇跡の実写映画化が実現した。魔夜峰央は埼玉ディスをするという内容が内容なので、実写映画化の企画を聞いた時に「正気か!?」と思ったそうだ(当然だ)。

『パタリロ!』はBL(ボーイズラブ)のパイオニアとも言える作品であり、この『翔んで埼玉』でも美少年が美少年に恋をする様が描かれている。その愛情が、周りから奇異の目でみられるものではない、“当たり前”のこととして描かれているというのも美点だろう。恋をする美少年を演じているのは女性の二階堂ふみではあるが、その美しい見た目も含めて十分な説得力を持たせている。

考えてみれば、ここまでの大規模の日本映画でBLが描かれた作品は、なかなかない(近年であるとすれば映画『帝一の國』か『his』、はたまた実写ドラマ『きのう何食べた?』だろうか)。LGBTの理解も進んでいる今、同性愛が当たり前に肯定される創作物は、当事者を勇気付けるだけでなく、周りの人々の理解につながっている。そこにも大きな意義がある作品と言っていいだろう。

6:現代パートにも重要な意義があった

映画「翔んで埼玉」場面カット
(C)2019 映画「翔んで埼玉」製作委員会

今回の映画には、原作マンガにはない“現代パート”が存在する。その内容は、島崎遥香演じる女性が結納のため、ブラザートム演じる父と、麻生久美子演じる母と共に自家用車で向かっていくというものだ。メインとなる革命を起こす物語は“ラジオで聞いている都市伝説”という体(てい)になっている。

この現代パートは、現実にもある埼玉ディスを“そのまま”見せている。そしてメインとなる都市伝説パートは、その埼玉ディスを大げさに誇張しているものであると言っていいだろう。

例えば、島崎遥香が演じる女性は序盤から埼玉のことをはっきり「ダサい」と言って、生まれ育ったその地を蔑み、東京で暮らすことを夢見ている。彼女は、都市伝説パートの、同じく生まれ育った埼玉を卑下している加藤諒たち演じるZ組の生徒の姿に重なるのだ。

さらに、ブラザートムと麻生久美子が演じる役はそれぞれ(俳優自身の出身地でもある)埼玉県と千葉県について「自分の所のほうが優れている!」と言い合いの喧嘩もしている。この2人は、都市伝説パートでの、川を隔てて“千葉解放戦線”と“埼玉解放戦線”が「桐谷美玲だ!」「ならこっち反町隆史だ!」「なら小倉優子ではどうだ?弱い!」というアホらしいにもほどがある“強いカード出し合いバトル”とほとんど同じことをしているのだ。

そんなわけで、この現実パートは、無駄に(褒め言葉)壮大な都市伝説パートを相対的に見せることで、実際にやってしまいがちな地方ディスのバカバカしさにも気付かせるという、有意義な効果を生んでいるのだ。

また、島崎遥香が演じた女性は都市伝説について「何これ?」と冷静なツッコミを入れる、観客にとても近い存在のキャラクターだ。彼女は都市伝説などどうでもよく、結納に間に合うことだけを考えていたように見えて、「その時、都知事の元へ、あの男がやってきたのです!」という物語の“ヒキ”を聞いて「え?誰?」と独り言を言ってしまったこともある。「バカバカしいと思っていたはずの話の続きが気になっている」というのも、この映画を観ている観客とシンクロしている。彼女の存在は、都市伝説の物語を俯瞰に見ることができる、観客の気持ちを代弁していてくれるという点においても、非常に重要だったのだ。

ちなみに、『翔んで埼玉』の原作マンガは実は“未完”であり、物語は正直に言って「えっ?ここで終わり?」と拍子抜けしまうところで終了していたりする。映画は、しっかりと革命が起こるまでを描き、同時に“都市伝説は本当だった”というくすぐりや、少しだけ独裁国家による恐怖(?)をもつけ加えつつ、「30年以上の時を経て物語を完結させた」ということにおいても意義のある作品だ。

7:“弱さを見せてもいい”という価値観、そして呼び名からわかる“対等な関係”

映画「翔んで埼玉」場面カット
(C)2019 映画「翔んで埼玉」製作委員会

劇中で、勝負に負けた二階堂ふみ演じる美少年が、取り巻きの女性たちに心配されたことに戸惑うというシーンがある。そこでGACKTはこう告げる。「君は今まで他人に弱さを見せなかった。常にトップであろうとピリピリしてたんだ。だけど、君も弱いと知って、周りも親しみやすくなったんだろう」と……。

これは、真にあるべき人間関係は、上下の差を厳しくするものではなく、時には弱さをさらけ出してもいい、“対等に付き合うもの”でもいい、という提言だ。強くあろうとすることそのものは立派かもしれないが、弱さを見せることは悪いことではない。むしろ、そのことで学ぶことができたり、お互いの理解が進むこともあるかもしれないんだ、と。

さらに二階堂ふみは、終盤に中尾彬演じる父親と対峙し、「ずっとお父様のようになりたかった。どんな時でも強かった、あなたのように」と口にする。その後に、彼が父親をどのように呼んだかをよく聞いてほしい。今までの「お父様」ではなく、「お父さん」と言っているのだ。

彼は「お父様」と呼ぶことで、強くある父親の姿を“理想化”していたのだろう。しかし、その父親が弱さを見せ、“対等”になったと思えたからこそ、彼は「お父さん」と“親しみやすい”呼び方をしたのだろう。この親子の関係がより良いものへ変わっていくことが予見できる、素晴らしいシーンであった。

さらに、GACKTは夜空の星々を見上げながら、こうも言っていた。「いくつもの星があるからこそ、この夜空は光り輝く」「一番を競い会うのではなく、互いを認め合えるのであれば、それでいい」などと。SMAPの楽曲「世界に一つだけの花」の歌詞を思わせるこの言葉も、その“上下で区別しない対等な関係”への提言があってこそ、真に迫るものになっていた。

そして……不当に権力を振りかざしたりせず、対等な関係であろうとすること、お互いの良いところを認め合うこと……それもまた、世の中の差別や迫害への対抗手段として、とても有効と言えるのではないだろうか。やはり、『翔んで埼玉』は壮大かつ大真面目な、志の高い映画だと再確認できたのだ。

映画「翔んで埼玉」場面カット
(C)2019 映画「翔んで埼玉」製作委員会

参考記事:「埼玉ディス」マンガとして大きな話題になってから4年。 映画『翔んで埼玉』魔夜峰央×千葉出身の武内監督対談
 

ヒナタカ

WEB媒体を中心にオールジャンルの映画を紹介・解説する雑食系映画ライター。「サイゾー」「女子SPA!」「ねとらぼ」「Cienams PLUS」などで執筆中。おすすめは「リリイ・シュシュのすべて」「ビッグ・フィッシュ」で検索すると1ページ目に出てくる解説記事。

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