「引越しは人生を決めていく作業」18歳で上京した丸山礼が、下積み時代の出会いで掴んできた夢

18歳で地元の北海道・北見市から上京し、有名人のモノマネを武器に芸能界に飛び込んだ丸山礼さん。最近ではドラマ『ワタシってサバサバしてるから』(NHK)で初主演を務め、等身大の姿を届けるYouTubeチャンネルの登録者数は約127万人。バラエティ番組やドラマ、映画、そしてSNSやPodcastと多岐にわたる場で縦横無尽に活躍している。
そんな丸山さんだが、もともとは養護教諭(保健室の先生)を志していた過去がある。どのように夢が変化し、新たな夢をどのように追いかけてきたのか。上京から11年経った彼女の引越し遍歴エピソードにも触れながら、数々の出会いによってチャンスを掴み、夢を叶えてきた道のりについて話を聞いた。
夢のきっかけと、背中を押してくれた人たち
――モノマネを武器に芸能界に飛び込んだ丸山さんですが、始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
丸山礼さん(以下、丸山) 母も祖母も昔から人のマネをするのが好きなんですよ。誰かの話をするときはいつも、身振り手振りはもちろん、喋り方や、顔マネまでするくらい。だから私がモノマネをするようになったのは、遺伝子レベルで受け継がれてきたことなのかもしれません(笑)。母も祖母もずっと地元で暮らしていますけど、母からは「東京に出たほうがいい」といつも言われていました。
――丸山さんご自身は、東京への憧れはありましたか?
丸山 ありましたけど……それ以上に、早くお金を稼ぎたかったです。母はシングルマザーで日々大変なのに、私がやりたいことを常に全力で応援してくれて、金銭的にもかなり支えてきてくれたので、早くお金を稼いで恩返しをしたくて。そのために、高校を卒業したら奨学金を借りて地元から通える教育大学に進学して、養護教諭になろうと思っていました。
――なぜ養護教諭を志したのでしょうか。
丸山 今でこそ芸能のお仕事をしているから不自然ではないですけど、地元はシャイな人が多いので、こんなに明るくて元気すぎると、学校の中ではちょっと浮いてしまいがちなんですよ。市内で一番面白い女子になりたいと思う反面、思春期特有の繊細な気持ちもあって、一部の人から白い目で見られることのつらさみたいなものも感じていました。
そんなときに保健室へ行くと、複雑な思いの丈を素直に話すことができたんですよね。だからお世話になった先生たちのような存在に自分もなりたいと思うようになりました。芸能界という道を選んだ今でも、相手の立場に寄り添って少しでも気持ちを軽くできたらと思う気持ちは変わりません!

――芸能界の道を意識するようになったのは、なぜですか?
丸山 もともとモノマネをするのが好きで同級生にも披露していて、その動画をテレビ番組や芸能事務所に送っていたんです。しばらくして今の事務所からオーディションのお知らせをいただいて、そこでグランプリを受賞したことをきっかけに、養成所にお誘いいただきました。
――チャンスを掴んだとはいえ、もともと志していた養護教諭の道と迷われたのでは。
丸山 そうなんです。だから事務所の方には「一旦、家族や先生に相談したい」と話して保留にしていました。養護教諭になって生徒を応援することに憧れていたものの、芸能活動をすれば、もっと多くの人を応援することができるのではないかと考えていたんです。
そうして進路に悩む私に、先生は親身になって相談に乗ってくれましたし、母は「やりたいことがあるならやったほうがいい! 私もそのためにできることはなんでもするよ」と言ってくれました。祖父母も応援してくれて、絶対に成功してみんなに恩返ししたいと思いましたし、今でも本当に感謝しています。
引越しと共に人と出会い、チャンスを掴んできた
――上京して最初に住んだ街は、田園調布だったそうですね。高級住宅街というイメージがあります。

丸山 田園調布が高級住宅街だなんて、北海道で暮らしている頃は知らなかったんですよ! 家賃は5万円でしたし。養成所が中目黒にあったので、アクセスの良い東横線沿いで無理のない家賃の部屋がいいだろうと、母が選んでくれたんです。
――初めての一人暮らしで、しかも場所は、ご実家からとても遠い東京。不安だったのでは?
丸山 上京して1カ月くらいは本当にずっとホームシックで、泣いて泣いて、泣きすぎて鼻水が床に垂れました。床まで鼻水が垂れたことあります? 私はあります。でもコメディエンヌを目指して上京してきているから、面白いなとも思っちゃう。鼻水が床に垂れるほど泣いている自分を慌てて写真に撮ってました。
――面白い瞬間を逃さない姿勢、さすがです。一人暮らしといいつつ、上の階には大家さんが住まれていたそうですね。
丸山 私が住んでいたのは1階で、2階に年配のご夫婦の大家さんが住んでいました。「今日はおこわだよ〜」なんて言いながらごはんをお裾分けしに来てくれたり、私が出演した番組をわざわざ録画して観てくれたり、いつも応援してくれていて嬉しかったです。
1階のもう一部屋に住んでいた同い年の女の子とも仲良くなって、ゴキブリが出たら避難させてもらったり、多摩川の花火大会に行く約束をしたり、毎日楽しく過ごしていました。夢に向かって日々戦う中で、あの家は私にとってオアシスのような場所になっていたと思います。

――そのあとは居酒屋で住み込みのアルバイトをされていたそうですが、「住み込み」とは具体的にどんな状態だったのでしょうか。
丸山 アルバイト先の居酒屋が食料倉庫として借りた部屋の、残り半分で暮らしていました。とはいえ住み込み制度のない居酒屋だったので、店主の方と一緒に部屋を選ばせてもらって。キッチンは広いし設備も充実した部屋だったので、暮らしやすかったです。
居酒屋は友達の行きつけだったんですけど、連れて行ってもらったときに店主の方が「アルバイトの学生がちょうど辞めてしまって、誰かいないか探してる」と言っていて。詳しく話を聞いているうちに、住み込みで働かないかと誘っていただいたんです。
――予想外の展開に、驚きませんでしたか?
丸山 むしろ、あんまり仕事がなくて家賃の支払いもカツカツな時期だったので「ラッキー! 衣食住が整っているなんて、助け舟が来た!」と思いました。だから次の日すぐ、それまでのアルバイトを辞める話をして、大家さんにも退去の報告をして、居酒屋の店主の方に連絡をしました。
――フットワークが軽い! 実際、それからの暮らしはどうでしたか?

丸山 最初はラッキーって思いましたけど、いざ始めてみると、居酒屋で夜から朝まで働いて、日中はオーディションとか行って……とにかく目まぐるしい日々でした。
でも部屋がけっこう広くて設備も充実していたので、始めたばかりのYouTubeも、部屋を活かしていろんなことができました。広いキッチンを自由に使ったり、廊下で一人焼肉をしたり。お金はなかったけど、部屋でできることを考えてたくさんYouTubeの動画を出しました。

――夢に向かってさらに進み始めた時期だと思いますが、当時はどんな心境でしたか?
丸山 「早く売れなきゃ」と、焦っていましたね……。働いていた居酒屋には芸能関係やファッション関係の仕事をしているお客さんもいたので、お話をする中でいろんな方を紹介してもらったり、スタイリストの方には衣装をお借りしたり、かなりグイグイいってました。
いろんな方と知り合う中で、悔しい気持ちになることもありました。テレビ業界のお客さんに「YouTubeの登録者数10万人以上います」とアピールのつもりで言ったら「100万人になってからじゃないと」と返されてしまった、とか。その通りだと思いつつもやっぱり悔しくて、厨房で泣きながら「絶対に見返してやる」と思いました。
自分がどうなりたいかわからないけど、とにかく頑張りたい気持ちはあって、でもどこに向かっていいのかもわからない。そうやって、もがいている時期でした。とはいえ振り返ってみると、積極的にいろんな人と関わったり、YouTubeを始めたりして、その後の活動の転機になったのもこの頃だと思います。
――丸山さんにとって、一人暮らしやお引越しとはどんなものですか?
丸山 一人暮らしって、大人への第一歩だと思うんです。「なりたい大人像」をイメージして、自分に合う部屋を選んだり、そこに自分が心地いいと思うものを置いてみたり、引越しはその繰り返しです。それを自分でやることが、すごく楽しい!
実家で暮らしているときと比べて税金を払ったり手続きをしたりするのは大変ですけど、それも自信につながっていきます。自分の理想を描いて、それを手繰り寄せるように住む場所を選ぶといいと思います!

編集部より
自分のやりたいことや個性、そして夢に悩みながら過ごした地元。そこから飛び出して芸能界に入ることで、養護教諭になりたかった頃の動機でもある「誰かに寄り添い気持ちを軽くしたい」という思いも叶えてきた丸山さん。
下積み時代の暮らしでは人々との出会いを大切にし、出会いをキャリアにつなげてきた。思い立ったら即行動、目の前にチャンスがあれば飛び込む、そんな姿勢は誰しも夢を叶えるうえで重要といえるヒントだ。
後編では、上京から11年経ち7回の引越しを経験してきたという丸山さんの引越し遍歴と部屋選びのエピソードを伺いながら、これから一人暮らしや引越しを控える方々に役立つポイントを紹介していく。
取材、文=鈴木梢
写真=北原千恵美
ヘアメイク=坂手マキ(vi’s株式会社【vicca】)
スタイリング=伊藤ミカ
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