『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』描かれた差別と偏見とボーイズラブとは?【月イチ紹介名作映画】
今から8年前の2011年6月に公開された『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を紹介
本連載では、月イチで名作映画を、過去に公開された月に合わせて紹介していく。2回目となる今回は、今から8年前の2011年6月に公開された『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を紹介する。アメリカンコミックを原作とした実写映画シリーズの1つであり、実質的に“エピソードゼロ”に当たる本作の魅力と見所がどこにあるのか、解説していこう。
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現実に根ざした差別と偏見を描いている作品だった
前提として、原作のアメリカンコミックおよび実写映画シリーズの『X-MEN』は、フィクションのスーパーヒーローものでもありながら、現実に根ざした差別や偏見の問題を反映している、または想起させるものになっているということが重要だ。
例えば、登場人物は特殊能力を持ったミュータントなのだが、彼ら彼女らの“青い肌”という見た目や、離れたところにある物を動かすという念動力、触った相手の生命エネルギーを奪ってしまうため愛する人とも触れ合うこともできないといった性質が、コンプレックスまたは“治す必要がある病気”としても描かれている。それらは、その人が大切にすべき“個性”とも捉えられるが、一方で社会では肯定されにくいという”生きづらさ”があり、それに葛藤せざるを得ないということが往々にしてある……という、現実の障がいや人種差別などに通じるものになっているのだ。
さらに、この『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の物語は1944年のナチス・ドイツ占領下のポーランドの強制収容所のシーンから始まっている。言うまでもなくユダヤ人への迫害や虐殺という、実在とした最悪の差別を明確に示している(この冒頭のシーンは2000年公開の『X-MEN』映画1作目を踏襲している)。しかも後半では、あわや第3次世界大戦が勃発しかねない事態になっていた1962年のキューバ危機も物語に反映されており、シリーズの中でも現実の歴史が下敷きになっていることが強調されていると言っていいだろう。
これらから訴えられているのは、差別や偏見が個人の生き方に深刻な影響を及ぼすことはもちろん、戦争までをも引き起こすトリガーにもなり得るという事実だろう。ネタバレになるので具体的な言及は避けておくが、その事実との裏返しとしてその差別や偏見の目で見られた者への“理解”や“愛”があれば、最悪の事態は回避できる(かもしれない)という希望も示されている。
劇中のミュータントたちの特殊能力は現実ではあり得ない、荒唐無稽とも言えるものだ。しかし、彼らが抱えた問題は、現実の差別や偏見のメタファーとなっており、そのため登場人物に感情移入がしやすくなっていることはもちろん、ともすれば現実にあるそれらの問題を解消するためのヒントももらえるかもしれない……『X-MEN』シリーズにはそれほどの尊さと誠実さがあり、だからこそ世界中で今に至るまで根強い支持を得てきたのだろう。
なお、この『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』は実写映画シリーズにおける“前日譚”であると同時に、これまでの設定をリセットした“リブート(やり直し)”作でもある。そのため『X-MEN』シリーズを全く知らないという方でも楽しめるうえ、ここで”起源”を知った上で後追いで他の作品を観るとさらに面白く観ることができる。“入門”としてもうってつけなのが、この『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』なのだ。
エンターテインメントとして高い完成度!“コイン”というアイテムにも注目!
前述したように現実にもある差別や偏見の問題が物語につぶさに反映されていると同時に、本作はエンターテインメントとしても文句なしに楽しめる内容となっている。監督は2010年の『キック・アス』という同じくスーパーヒーロー映画で高い評価を得たマシュー・ボーンで、そのアクション演出はスタイリッシュさとケレン味に溢れており、ミュータントたちの個々の特殊能力が軽妙なテンポでお披露目されることもあって、子供から大人までワクワクしながら観ることができるだろう。
物語そのものも、現実の歴史が反映されている一方で、政治的な小難しさはほとんどない。対照的な価値観を持つ2人の男が出会い、彼らが『七人の侍』のように“仲間集め”を始め、等身大の悩みや未熟さを備えた若者たちが出会い、それぞれの特殊能力を高めるために“訓練”をし、やがて悲劇的な出来事も起こるが、それでも大切な何かを守るために奮闘する……という物語運びもエンターテインメントの王道とも言えるもの。スーパーヒーロー映画としてのカタルシスも存分なのだ。
さらに語り口のスマートさも特筆に値する。例えば、序盤で少年が連れてこられた部屋のカットを切り替えていくと、隣でガラス越しに「人体実験をしていたのだろう」とわかる無機質な医療器具が備わった手術部屋が突然映り込んだりもする。直接的な残虐描写はほぼほぼ廃されているのにも関わらず、これだけで悪役がおぞましい所業を繰り返していたが伝わるようになっているのだ。
また、序盤から“コイン”というアイテムも実に象徴的に使われている。このコインは主人公の1人の後悔および怒りを具現化したものであると同時に、コインに“表と裏”が存在することが彼の運命が“どちらに転ぶかがわからない”ことも暗に示しているとも取れる。その表にはナチス・ドイツの国章の鷲が刻印されており、それが裏返ってタイトル(原題の「X-MEN FIRST CLASS」)が表示されるというのも皮肉的だ。
さらに、中盤では2人の主人公が“チェス”をプレイしながら話しているという場面もある。このチェスは“明確かつ論理的に決着をつける”ということへのメタファーとも言える上、『X-MEN:ファイナル ディシジョン』のあるシーンのオマージュになっているとも言えるのも見事なものだ。
総じて『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』は間口の広いエンターテインメントでありながら、あらゆるシーンにあるメタファーなどを“深読み”もできるという、極めて豊かな作品になっていると言っていいだろう。
実はボーイズラブも描かれていた?
『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』では、社会における被差別者またはマイノリティと言えるミュータントたちの様々な価値観が交錯している。具体的に言えば「マイノリティであることを隠して(または認めて)社会と折り合いをつけて生きていこう」と「マイノリティであることを隠すことなく誇りにして堂々と生きよう(という考え方が行き過ぎてしまってマジョリティの“人間たち”へ攻撃を仕掛てしまう側になる)」という2つの価値観がぶつかり合うことになるのだ。どちらの言い分も論理的に理解できるだけでなく、彼らの哀しい生い立ちが反映されていることもあって一概に否定しにくい、だからこそ彼らに思い切り感情移入できるというのも大きな魅力となっている。
実は、そのマイノリティは性的なマイノリティ、同性愛(ゲイ同士の恋愛)も暗に示しているであろうことも特筆しておきたい。例えば、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』における主人公の1人であるチャールズは、幼少時から1つ屋根の下で暮らしてきたはずの女性のレイブンとなぜか恋仲にならないどころか、「君は恋愛対象にはならない」とバッサリと言い切っていたりもする。
その後にチャールズは、自身と同じく特殊能力を持つミュータントの“男性”であるもう1人の主人公のエリックと出会い、海の中でずぶ濡れになりながら思い切り“抱きしめる”ことになる。しかもチャールズはテレパスの能力を持っていることもあって「君のことは全てわかるよ」などと耳元でささやいたりもするという……もはや「これってボーイズラブなのでは?」と思わざるを得ない展開になっていくのだ。
そのチャールズとエリックが仲間集めをしていく時に、いかがわしそうなクラブで働く女性の前で“ベッドで仲良く横たわっている”場面も“それっぽく”て微笑ましい。さらに、チャールズはエリックに向かって(磁力を操る能力を試すために)至近距離から“銃”を撃とうとするのだが、「やっぱり撃てない」と諦める場面もある。銃は得てして“男根”の象徴とされるので、どうしても何かしらの含みを感じざるを得ないのだ。
さらにさらに、今度はエリックがチャールズの助言もあって、遠くにある“巨大なパラボナアンテナ”を磁力のパワーでエリックの方に向けることに成功する。そのパラボナアンテナが“丸いものに硬くて長くて太い棒が付いている”という形状であることも……「やっぱりこれってボーイズラブだよ!」とやはり思わざるを得ないのだ。ひょっとすると、終盤で飛んでくる“ミサイル”もアレなのでは……。
もちろん、それらの“ゲイ同士の恋愛”は暗に示される程度であり、具体的な性愛などには発展しない。しかしながら、ボーイズラブのアンテナを持つ人ならビビッと来る、(前述した暗に示される色々なことを除いても)2人の主人公のやりとりには確実に友情以上の何かを感じさせるという、絶妙なバランスになっている。男性同士の恋愛に萌えを感じる、俗に言う腐女子(男子)の方にも、マジメにおすすめしたいのがこの『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』なのだ。
なお、『X-MEN』の実写映画シリーズの多くで監督を務め、この『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』でも原案と製作を務めているブライアン・シンガーは、ゲイであることを公言していることでも有名だ。彼が『X-MEN』の原作のアメリカンコミックでも記されていたミュータントへの差別や偏見を、自身がゲイであることと重ね合わせていたことは想像に難くない。そのブライアン・シンガーは、近年では両性愛者と思われるミュージシャンの伝記映画を(撮影途中で降板してしまったが)手がけていた。その映画とは、あの超大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』だ。
『X-MEN』シリーズおよび『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』では被差別者やマイノリティに優しく尊いメッセージが投げかけられており、現実の差別や偏見の歴史を下敷きにしていることはもちろん、作り手の人生も如実に反映されているからこその説得力も備えていると言っていいだろう。
最新作『X-MEN:ダーク・フェニックス』がいよいよ公開
そして、『X-MEN』の実写映画シリーズの最新作であり“最後の『X-MEN』”とも銘打たれている『X-MEN:ダーク・フェニックス』が2019年6月21日より日本で公開される。
こちらは『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』および『X-MEN:フューチャー&パスト』と『X-MEN:アポカリプス』に続く作品でもあるため、これら3作を観ておくとより楽しめるだろう。こちらでもシリーズに通底する差別や偏見がどのように描かれるのか、注目したい。
文=ヒナタカ
インディーズ映画や4DX上映やマンガの実写映画化作品などを応援している雑食系映画ライター。“シネマズPLUS”や“All About”などで記事を執筆している他、“カゲヒナタの映画レビューブログ”も運営中。『君の名は。』や『ハウルの動く城』などの解説記事が検索上位にあることが数少ない自慢。
Twitter @HinatakaJeF
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