【お部屋探訪】マンガ家・谷口菜津子編
友だちの部屋に遊びに行くような感覚で、有名人の部屋に上がりこんでみたい……。そんな妄想から始まった当連載。第5回目の訪問先は、マンガ家・谷口菜津子さんの部屋だ。
谷口菜津子
1988年7月7日生まれ。神奈川県出身。多摩美術大学卒業。マンガ家。Web、情報誌、コミック誌等で活動。『わたしは全然不幸じゃありませんからね!』(エンターブレイン刊)、『さよなら、レバ刺し~禁止までの438日間~』(竹書房刊)発売中。Webにて『フリーター戦士 ミュータントせつこ』(AM)『人生山あり谷口』(トーチ)『花とホルモン』(マイナビニュース)を連載。LINEスタンプも好評発売中。ブログ「たにぐちF」。
「木箱みたいな部屋に住んでいました」
WEBやコミック誌など、幅広い場で活躍中のマンガ家・谷口菜津子さん。現在は、東急東横線の学芸大学駅近くで、多摩美術大学時代の先輩2人とルームシェアをしている。
「最初の一人暮らしは大学に入学した19歳の時。大学が橋本にあったので、その近くに4年間住んでいました。卒業後は、アパレルのアルバイトをしつつマンガ家を目指していて、勤務先が新宿に変わることになったんです。それを機に、通勤しやすい小田急線の祖師ヶ谷大蔵に引越しました」
物件選びの条件は「とにかく広い部屋」と谷口さん。画材や本、趣味のフィギュアが多く、それらを収納するスペースが必要なのだとか。
「祖師谷大蔵の物件も広さ優先で探しました。それで、8畳5万円の格安物件を見つけたのですが、そこが”木箱のような部屋”で……。車が通っただけで揺れるし、壁が薄かったのか部屋でマンガを描いているだけなのに、下の住民からは棒でつつかれるし。そりゃ悲惨でしたよ(笑)」
ルームシェアのきっかけは「心が死ぬと思って」
そんな”木箱のような部屋”から引越し、現在のルームシェアが始まった。そのきっかけとは?
「実は祖師谷大蔵に住んでいた時はカーテンを持っていなくて、一日中雨戸を閉め切っていたんです。そのころアルバイトも辞めて人と合わなくなり、暗い部屋でマンガをひたすら書き続ける日々を過ごしていたのですが、『このままでは心が死ぬ』と思い始めて……。ちょうどその時、先輩がルームシェアを始めるというのを聞いて、混ぜてもらうことになったんです。やっぱり人と会うのは大事ですね!」
谷口さんは中央線沿線が希望だったが、先輩の都合上、学芸大学がベストだったので「ついていくしかなかった」とのこと。気の知れている友人とはいえ、他人との共同生活。ケンカなどしないのだろうか?
「ケンカはまったくしないんですよ。寂しい時は自分の部屋から出てしゃべりに行くし、誰とも会いたくない時や仕事に集中したい時はこもるし。そうやって切り替えを行うようにしています。まぁそもそも2人はあんまり帰ってこないんですけどね……」
家事は分担し、谷口さんはゴミ出しと公共料金の徴収を担当。3人とも料理が好きなので、食事は個々で作って食べているそうだ。
「間接照明とか訳分からない! それよりパン買うわ」
残念ながら、共有部分の撮影はできなかったが、いかにも女性らしいおしゃれな部屋といった印象。
「これは同居人の趣味です。2人ともデザイン科出身ですしセンスが良いので、インテリアにはこだわるんですよ。私はマンガ家としてデビューするのに必死で、金銭的にもカツカツな生活を送っていたので、部屋に電気があるのにわざわざ間接照明とかを買う理由が分かりませんでした。それよりパン買うわって感じですよね(笑)」
実はこの物件、2月で契約満了となるため引越しをするそう。
「今度は念願の中央線沿線に住もうかと。ルームシェアを辞めるのはさみしいですが、中央線には飲み友だちが多いので楽しみです。もちろん、物件は広さ重視で。あと、インテリアとか興味なかったのですが、同居人に触発されてやっぱり大事だな、と。私もいい感じの調度品を取り入れて、おしゃれな部屋にしたいと思います」
(播磨谷拓巳/ノオト)