【ネタバレ解説】スターウォーズ・エピソード9『スカイウォーカーの夜明け』満足でも「違う、そうじゃない」感じてしまう理由を考察
映画スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』について掛け値なしに賞賛したいポイントと、ファンからの賛否両論を呼んでいるポイントについて解説!

2019年12月20日より、ついに『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』が公開された。
同作は、言わずと知れたSF映画の金字塔『スター・ウォーズ』シリーズの完結編である。1作目『エピソード4/新たなる希望』から数えて(スピンオフ作品を除けば)9作目、なんと42年という時を経ての長い物語が終わりを迎えるため、「なんとしてでも見届けなければならない」という想いのもと劇場へ足を運んだ方も多かっただろう。
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結論から申し上げれば、この『スカイウォーカーの夜明け』は1つのエンターテインメント作品として間違いなく“面白い”と賞賛でき、しっかり物語の完結を見届けたという感動がある“労作”だった。スタッフとキャスト、そして監督のJ・J・エイブラムスの血の滲むような努力が画面から伝わってくるため、心から「本当にここまでよく頑張ってくれました!」「お疲れ様でした!」とねぎらいの言葉をかけたくなったのである。
しかし……作品として楽しむ前に“製作上の都合”も透けて見えてしまった、というのも正直なところだ。『スカイウォーカーの夜明け』およびディズニーに権利が売却されてからの“続3部作”を振り返ると、熱心なファンへの“期待に応えようとしすぎた”ための作り手の意図が、作品内で“いびつ”なものとして表れていたという印象も、残念ながら強かったのである。
ここでは、“続3部作”の製作経緯を振り返ると共に、『スカイウォーカーの夜明け』について掛け値なしに賞賛したいポイントと、ファンからの賛否両論を呼んでいるポイントについて解説していこう。
そして、以下からは『スカイウォーカーの夜明け』の本編および、今までの『スター・ウォーズ』シリーズのネタバレを多分に含んでいる。そのため、まだ映画を未見という方は、先に劇場へ足を運んでから読んでほしい。
狙いが明確な“軌道修正”があった

“続3部作”の始まりである『フォースの覚醒』でメガホンを取ったJ・J・エイブラムスは、この完結編『スカイウォーカーの夜明け』で再登板をすることになった。
何より重要なのは、そのJ・J・エイブラムス監督が、前作『最後のジェダイ』からの“軌道修正”と、“物語の完結”という、大きく分けて2つの巨大すぎる課題に挑まなければいけなかったことだろう。その軌道修正には、『フォースの覚醒』および『最後のジェダイ』における“ファンからの評価”も反映されていると言って間違いない。
具体的には、『フォースの覚醒』は『エピソード4/新たなる希望』という“原点”へのリスペクトに溢れており、ファンからは概ね好評であったのだが、一方で「ファンへ“過剰接待”している」「革新性に欠けている」という手厳しい意見もあった。
それを反省したためか、『最後のジェダイ』ではライアン・ジョンソンというSF映画『LOOPER/ルーパー』で高い評価を得た監督を抜擢し、今までのシリーズの常識や概念を覆す、よくも悪くも「予想を裏切る」内容となった。しかし、その『最後のジェダイ』は賛否両論と言うよりも、ほぼほぼ「熱心なファンを怒らせてしまう」結果となったため、制作者側は「(あわてて)ファンからの反感を買わない内容にしよう」と、『スカイウォーカーの夜明け』に向けて”舵取り”をしたのではないだろうか。
その”舵取り”の象徴とも言えるのが、3作目『エピソード6/ジェダイの帰還』で倒されたはずの“パルパティーン”が復活するということだ。作り手の狙いはもはや誰の目にも明らかだろう。「『フォースの覚醒』で『エピソード4/新たなる希望』をリスペクトしたことが概ね好評だったのだから、この完結編である『スカイウォーカーの夜明け』では『エピソード6/ジェダイの帰還』になぞらえよう……」と。
これまでのシリーズにもあった“フィードバック”とは?
実は、『スター・ウォーズ』シリーズは、過去にも「失敗を反省して次回作に生かす」という、明らかな“フィードバック”をしていたことがある。
具体的には、『エピソード1/ファントム・メナス』では“ジャー・ジャー・ビンクス”という「ウザい」と酷評されてしまったキャラクターがおり、超能力のフォースについても“ミディ=クロリアン”という神秘性を損なう設定が付け加えられたことも不評だった。
それを反省したためか、続く『エピソード2/クローンの攻撃』ではジャー・ジャー・ビンクスはほんのわずかにしか登場せず、ミディ・クロリアンについてもほとんど言及されなくなっていたのである。
この「前作の反省点をフィードバックして次回作に生かす」という“柔軟性”が、確実に『スター・ウォーズ』シリーズにはあるのだ。これ自体は、作り手の気概として正しく尊いものであるだろう。
“ファンが本当に見たかったもの”を詰め込んで完結した
正直に言って、その『エピソード6/ジェダイの帰還』に“寄せて”いて、『最後のジェダイ』を“否定しにかかっている”とも言い変えられる、『スカイウォーカーの夜明け』の「前作の反省点をフィードバックして次回作に生かす」アプローチが、また新たな賛否両論を生む原因になっており、“続3部作”にある“いびつ”なものを浮き上がらせる結果となったとも言えるため、筆者個人としては諸手を挙げて絶賛はできない(その詳しい理由は後述する)。
しかしながら、アプローチそのものはファンからの心理としても理解できるものであるし、前作『最後のジェダイ』では提示されなかった「ファンが本当に見たかったもの」が詰め込まれていたため、その時点でかなりの満足度があるのも事実だ。
例えば、『スカイウォーカーの夜明け』の序盤の展開である「レイとフィンとポー・ダメロンが3人で冒険に出かける」ことがとても楽しいし嬉しい。この3人は“続3部作”から登場したとても魅力的なキャラクターだったのだが、『最後のジェダイ』の終盤でようやく合流したというくらいで、3人が揃うことがそもそもほとんどなかったのだから。
その上で、レイとカイロ・レンの関係性の決着、旧3部作で活躍したキャラクターたちの顛末、そして『エピソード6/ジェダイの帰還』へリスペクトを捧げたがゆえのパルパティーンとの最終決戦決も描くというのだから、とにかく本編には見所が満載だ。「展開が詰め込みすぎてバタバタしているし強引に感じる」という見方もできてしまうが、ここまでのファンの気持ちの汲み取りと、惜しげもないサービス精神には、やはり賞賛の言葉をかけたいのである。
何より、『最後のジェダイ』からさらに大風呂敷を広げられた、乱暴に言えば“ぶん投げられた”それらの様々な要素を、1つの形としてしっかり終わらせているのだ。日本版ポスターのキャッチコピーにある「すべて、終わらせる。」という言葉も、劇中のキャラクターの心情というよりも、作り手の「できる限りの最良の方法で完結される」という、勇ましい意気込みそのものなのかもしれない。
カイロ・レンはダース・ベイダーの魂を救ったのかもしれない

この『スカイウォーカーの夜明け』では、前述した通り倒されたはずのパルパティーンが復活する。それだけを切り取ると『エピソード6/ジェダイの帰還』の“焼き直し”という印象も強くなってしまうし、そもそも「敵同士だったはずのレイとカイロ・レンが結託して巨悪(スノーク)を倒す」という展開は前作『最後のジェダイ』でもやりきっていたことだ。
しかし、この『スカイウォーカーの夜明け』では、ダークサイドに堕ちてしまったダース・ベイダーの魂を、その孫であるカイロ・レンが“救済した”とも言える尊い展開があった。
若かりし頃のダース・ベイダー、つまりアナキンは『エピソード2/クローンの攻撃』では師匠(オビワン・ケノービ)への苛立ちが募り、さらに母が拷問の上に殺されてしまい、その場にいた者たちを怒りに身を任せ惨殺していた。『エピソード3/シスの復習』では妻のパドメが出産で死に至るという不吉な夢を見たため、彼女を守れるほどの強大な力を求めていた。そうした負の感情が相乗的に重なり彼はダークサイドに堕ちてしまったうえに、結果的には妻も失うことになった。
そして、カイロ・レンは『フォースの覚醒』では祖父であるダース・ベイダーのマスクを“祀る”かのように所持しており、父であるハン・ソロを殺害してしまい、『最後のジェダイ』では伯父であり師匠であるルークに殺意を向けられてしまったことも明かされた。カイロ・レンは、祖父のダース・ベイダーと“同じ道を辿るかもしれない”人物だったと明確に示唆されていたと言っていいだろう。
しかし、カイロ・レンの記憶の中にいる父のハン・ソロは「I know」というおなじみのセリフも口にし、彼を息子の“ベン”であることを肯定し、彼へ“希望”を与えていた。ダース・ベイダーが『帝国の逆襲』で「I am your father」と明かして息子のルークに“絶望”を与えてしまったこととは対照的だ。
もう1つ対照的なのは、ダース・ベイダーが強大な力を求めても妻のパドメを救えなかったことに対し、カイロ・レンは愛していた(憎しみつつも惹かれていた)レイを最後に命を賭けて救うことができたということだ。この2人の関係は『エピソード6/ジェダイの帰還』におけるダース・ベイダーとルークであると同時に、『エピソード3/シスの復讐』のアナキンとパドメとも言えるのだ。
最期のカイロ・レンの表情からは、彼が完全にライトサイドに、そして“ベン・ソロ”に生まれ変わったということが言葉にしなくても伝わってくる。それを見事に体現したアダム・ドライバーの名演は、いくら賞賛しても仕切れない。とにかく、カイロ・レンの長い旅路の終わりを見届けられたということ……ここにこそ“続3部作”の意義があると納得でき、また最大の感動があったのだ。
ここまで、概ね『スカイウォーカーの夜明け』を賞賛したが、本作は『エピソード6/ジェダイの帰還』に“寄せて”、『最後のジェダイ』を“否定しにかかっている”とも言い変えられる、それが“やりすぎ”な領域に入っているため、モヤモヤした気持ちも大いに残ってしまったというのも正直なところだ。次のページでは、ファンからの賛否両論を呼んでいる、議論の余地があるポイントについて解説していこう。