漫画家・凸ノ高秀さんの創作を支える6畳一間のアパートと大家さんの庭
異例のキャリアを持つ漫画家・凸ノ高秀さんにインタビュー!

漫画家・凸ノさん
27歳でデザイナーとしてのキャリアを捨て、29歳で単身東京へ。その半年後に『週刊ジャンプ・増刊読切』でデビュー、ある意味順調な遅咲き漫画家人生を歩む凸ノさん。
上京時以来住み続けているという6畳一間のアパートの風景から、生まれ育った天王寺駅周辺の話まで、いろいろな話を伺った。
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プロフィール
名前:凸ノ高秀さん
職業:漫画家
年齢:35歳
Instagram :@totsuno
Twitter:@totsuno
30歳を目前に、漫画家になるため東京へ
生まれ故郷の大阪でデザイナーとして何不自由なく暮らしていた27歳の頃に、凸ノさんはなぜか漫画家を目指して単身東京へ乗り込んだ。
「団地で友人とルームシェアをして、隣近所も友人ばかり。毎日遊んで飲み歩き、楽しくて仕方なくて、唐突に“これじゃ俺はダメになる”と思いました。四方八方を自分より圧倒的にデキる奴らに囲まれて、胃がキリキリするような環境に身を置かなきゃ…と」(凸ノさん)
修行僧マインドなのかM気質なのか…30歳になったら、もう挑戦はできないという焦りもあった。

住んでいた団地の1室で漫画を書く凸ノさん
東京では「アルバイトは絶対にしない」と心に誓い、大阪時代のエンタメサイトでの連載を見て声をかけてくれた編集者を訪ねた。以降、漫画の持ち込みをすることもなく、上京して半年で『週刊ジャンプ』で連載を持つまでに。
遅咲きではあるものの、漫画家としてはデビューまでトントン拍子に進んだ方だろう。今ではイベントなどで漫画家志望の若者から相談されることも多い。
「“デビューに年齢は関係ない”と言いたいけど、20歳と40歳では戦い方を変えないとダメ。20歳ならアルバイトしながら目指してOKでも、30歳は別のアプローチをしないと難しいでしょうね」と我が身を振り返りながらアドバイスをするという。
築30年、6畳一間のアパートで描き続けるジャンプ作家
東京に行こうと決めて、悩んだのはどの街に住むかだった。東京在住の友人に「飲み屋も多く、出版社へのアクセスも便利」と現在住んでいる街を勧められ、ネットで探したという。
最初に決めた物件は駅から徒歩10分だったが、実は実家も一人暮らしをした団地も駅から3分以内。駅徒歩10分をシミュレーションをして天王寺駅から歩いてみたら、その遠さに耐えられず…不動産屋に駅近物件を探し直してもらったという失敗もあった。
「築30年の6畳一間の普通のアパートですけど、大家さんが管理する庭には木や花があって、野良猫がふらりとやってくるのが窓から見える。そんな風景を見ながら漫画を描くのが好き」と本人はいたって満足している。
群雄割拠の漫画家の世界で連載を持てるようになれば、タワーマンションに住んで仕事場も借りるのがステータスの一つでもある。「ジャンプ連載を持っていて、こんなところに住んでいる人いませんよ」と担当編集者に笑われたこともあるが、気にしない。東京に来て6年、一度も引越しを考えたことはないという。
6畳の部屋のそれぞれの隅っこに、ベッドや作業机などの家具を置いて、かろうじて生活圏を分ける工夫をしている。職業柄、紙の資料が大量過ぎて、すっきり暮らせないのが悩みの種だが、電子書籍への切り替えにも限度がある。
ちなみにネーム(絵コンテ)までは近所のファミレスで、作画は自宅で作業するという。

現在の凸ノさんのお部屋だ!
化け物のような体力を求められる、凄まじい「週刊連載の世界」
「週刊漫画の連載って大変ですか?」と無知丸出しな質問を投げかけると、「人間の住む世界とは思えないほど凄まじく大変です」と想像以上の答えが。どんな生活だったのかを尋ねると…
木曜日が入稿日で原稿を入れたら、その夜には次週の打ち合わせ。金・土・日曜日の午前までネームを考え、日曜日午後から月・火・水・木の入稿まで作画作業。その間、睡眠時間はギリギリまで削るという。
「僕はそれでも半年程度でしたが、6年も8年も連載を続ける作家さんもいる。面白いものが描けるかどうか以前に、それは体力が化け物のように備わっているということです。同時にメンタルの強さも必要なので、完全にアスリートですよね」(凸ノさん)
近い将来、また連載を始める時のために、凸ノさんもジムでトレーニングを積む毎日。半年ほど前、不摂生がたたって1ヶ月ほど療養生活を余儀なくされた。「人間の体って壊れるんだ」と知った瞬間だった。それからは疲れていなくても12時には仕事をやめ、朝10時には起きる生活を心がけている。
「連載が始まれば一瞬で吹き飛ぶ規則正しさですが、基本の体力づくりはしておかないと。ノリで連載は持てないので」と気持ちを引き締める。
そんな思いをしてまでも、漫画家にとって「連載」は特別なものなのだろうか…答えはYES。収入のほとんどはアシスタント代に消えるが、プロ意識の高い編集者と一緒に「面白い作品」を共犯関係で作り上げる楽しさは桁違いだという。
「出版社の漫画担当編集者の人たちはプライドがあって、“クレームが来たら自分が責任を持つ”と胸を叩いてくれるような人が多い。そういう人たちと一緒にアイデアを練りながら進める作業は、辛くてもやっぱり楽しい」と漫画家としての顔をのぞかせた。
「長期連載に向いているものや単発モノなど、常に3〜4本の企画は温めている」という凸ノさん。ネタはテレビを見ていたり、歩いている時など、ふと思いつくことが多いという。
「机にしがみついてウンウン唸って絞り出すこともありますが、スッと出た着想の方がよいものが出る気がする。難産だからいいとは限りません」(凸ノさん)
生き地獄のような連載の世界に、凸ノさんが再び戻る日も近そうだ。

凸ノさんの漫画が生まれるデスク
ホームレスが溢れる街を原風景に「やさしい世界」を描きたい
「僕が生まれ育った天王寺周辺は、今でこそ再々開発されて近代的な街ですが、当時は路上生活者が段ボールハウスで村を作って暮らしていました。冬になると本当に寒そうで、朝になると凍死している人も時々いましたよ」(凸ノさん)
話してみると、いい人も面白い人もたくさんいた。怠け者だから家がない訳じゃない。彼らのことを、自分とは別世界の住人とは思えなかった。その経験からか「ちょっとしたボタンの掛け違いで、いつ自分が路上生活者になってもおかしくない」と常に思っている。そしてその恐怖心が、凸ノさんが漫画を描き続ける原動力なのだそうだ。
小学生だったある日、行政の強制執行で段ボール村が撤去されることになった。大勢のおっさんと役人が揉み合う決戦の日を、凸ノ少年は友人の家のベランダから見物したという。まるでドラマのような展開だ。
「僕の幼い頃の日常は、歯の抜けたヤバイおっさんから逃げたり、凍死騒ぎを横目に段ボールハウスの間を縫って学校に通う毎日。それが僕の原風景です。そんなヒリつくようなエグい世界を知っているから、願いを込めてやさしい世界を描きたいのかもしれない」と、自分の作品の世界観を俯瞰する。
もし漫画を描けなくなったら?という意地悪な質問にも、「イラストやデザインでお茶を濁すことはせず、持っているお金でできる小さなバーでも開こうかな。いずれにしても面白いことをしていたいですね」と、飄々と答えてくれた。

意地悪な質問にも快く答えてくれる気さくな凸ノさん
次に住むのは、削られた6年間を取り戻す「猫と同居できる家」
とはいえ東京暮らしも早6年。今度の更新のタイミングでは引越しを考えているという。毎日眺めるのを日課にしていた「大家さんの庭」は手放すが、新たに「猫との生活」を手に入れる予定だ。
「生まれた時から猫が身近にいた生活しかしてこなかった。東京に来てからは、毎日自分を削りながら猫を我慢して生きてきましたが、いよいよ耐えられなくなってきました」。庭を訪れる野良猫を眺めるだけではもう我慢の限界。次の家は家賃10万円程度で「ペット可物件」を探す予定だ。
買いたい種類を問うと、「ブリティッシュショートヘアが一番好きですけど…縁があれば誰でもいい。どうせ飼ったらウチの子が世界で一番可愛くなるから」と溢れ出す猫愛が止まらない。
同じ街で探すのかと思いきや、「苦手な中央線沿いで探そうと思っている」と意外な答えが返ってきた。だったら好きな街に引越したらいいのに…と思うが、「苦手だなぁ…行きたくねぇな…という感じが、大阪から出てきた時と似ているんですよ。“居心地のよさ”を手放すといいことがあるような気がする」と、あくまでも「苦手」な場所に移り住むことにこだわる。
定職を捨てて漫画家になろうと上京したり、地獄のような連載生活に戻ろうとしたり、心地よさを手放した先には何があるのだろう。凸ノさんの言う「いいこと」は、常に戦いの現場のように感じる。
「家を失うかもしれないという恐怖心」とか「常に楽をしたい」とか、しれっと言うけれど、根っから戦うことが好きな人なのではなかろうか…。戦う男の描く「やさしい世界」がますます楽しみになってきた。
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凸ノさんの溺愛するご実家の可愛いネコで締めくくり!凸ノさん、ありがとうございました~!
文=元井朋子
撮影=編集部
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