【月イチ名作映画紹介】『ビッグ・フィッシュ』究極の“物語賛歌”であった理由を解説する

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今から13年前の2004年5月に公開された『ビッグ・フィッシュ』を紹介

本連載では、月イチで名作映画を、過去に公開された月に合わせて紹介していく。

初回である今回は、今から13年前の2004年5月に公開された『ビッグ・フィッシュ』を紹介しよう。ファンタジーの名手とされるティム・バートン監督の最高傑作に位置付けられることも多い1本であり、その魅力は枚挙にいとまがないが、観たことがない方にも興味を持ってもらえるよう、順を追って解説していく。

ビッグ・フィッシュ (吹替版)

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描いているのは父と子の確執だった

まず、本作のあらすじを簡単に紹介する。

主人公は自らの人生を巧みに語ることに長けており、息子の結婚式でも巨大な魚を釣り上げた話をして招待客を楽しませていた。しかし、息子は結婚式の主役であるはずの自分を差し置き、そんなホラ話をしていた父に憤りを隠せなかった。彼は子供の頃には父のホラ話を楽しんでいたが、大人になった今ではむしろそのホラ話こそが父を嫌悪する理由になってしまっていたのだ。そして3年後、父は病で倒れ余命いくばくもない状態になる。息子は最期を迎えようとする父から、今までの人生を聞くことになるのだが……。

本作の物語の主軸となるのは、この“父と子の確執”という普遍的なものだ。

そして構成は(1)年老いた主人公を描く“現実”パートと(2)若き日の主人公の物語が展開する“ファンタジー”パートの2つが並行して展開していくことになる。彼が振り返った人生の物語を息子がどう捉えていくか、そして父と子の確執がどのような顛末をむかえるのか……ということが物語の焦点となっていく。

家族と疎遠になった、または家族と不仲であったという方にとっても身につまされる内容になっているのだ。

そのファンタジーパートでは、誰もが「忘れがたい」と思える名シーンがいくつもある。“運命の人に出会って時間が止まる”や“一面に敷き詰められた水仙の花”の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。ティム・バートン監督らしいカラフルな装飾や機械的なギミックやゴシック調の美術もしっかり登場し、とにかく視覚的に楽しませてくれる。映画という娯楽でこその“観たことがないものを観る”喜びに溢れていると言っても良いだろう。

これだけでも万人が楽しめる作品なのだが、本質はその先にある。それは、“ファンタジーの意義”そのものを問い直しているかのような“物語賛歌”とも言える内容でありながら、“現実のことも描いている”という二面性があるからだ。そのことは以降の項で解説しよう。

Big Fishポスター映画27 x 40インチ – 69 cm x 102 cm ) ( 2003 ) (スタイルB )

ファンタジーによる解決に頼っていない物語だった

本作は前述したように主人公の人生を振り返っていくのだが、彼はホラ吹きであるため、その物語には“現実ではあり得ない”ことが多い。

しかし、そのホラは「魔法を使ったら呪いが解けました」なんてことではなく、“普通じゃない”大胆な性格をした主人公が自らの力で道を切り開いていくというものである。ゆえにファンタジーではあるのだが、全くと言っていいほどにファンタジーによる解決に頼っていないのだ。

そのファンタジーだけで解決しない理由の1つは、主人公が語る物語が“全てがウソではない”ということ。不思議なことが起こったとしても、その基本には常に真実があるのだ。

例えば、主人公が序盤に出会う巨人の男のことを考えてみよう。街に現れた巨人は街で「話してわかるようなやつじゃない」「モンスターだ」と槍玉に挙げられていたが、主人公は1人で説得に赴き「君が大きすぎるんじゃない。街が君には小さすぎるんだ(僕にとってもそうなんだ)」と説得して共に旅に出かけることになる。この巨人の背の高さは現実ではあり得ないようにも見えるが、良くよく考えてみると「迫害をされていた背が高すぎる男のことを理解して友達になる」ということそのものは現実でも(変わってはいるが)十分にありうる話だ。つまり、父のホラ話は「本当の話を誇張しているか尾ひれをつけて話しているんだな」と想像できるようになっている。

その他にも、エピソードそれぞれの過程にはファンタジーめいた、または笑ってしまうほどに荒唐無稽なシーンがある。しかし、やはりいずれのエピソードの帰着や本質は“現実的”なのだ。この「ファンタジーでありながら現実味もある」ということは、映画全体の物語にも重要な意味を与えている。それが氷解するラストには、例えようもない感動があるはずだ。

“変人”を愛するティム・バートン監督の作家性とは

ティム・バートンは“変人”を愛する監督だ。監督自身は脚本を書かないにも関わらず、それはどの監督作品でもほぼほぼ一貫している。変人であるがゆえに周りに馴染めない者が主人公またはサブキャラクターとなり、その人への“受け入れ方”が変化していく様や、その人の“個性”を肯定していく価値観が往々にして描かれているのだ。

その作家性は、ティム・バートン自身が幼少期の頃に「子供なのにモンスター映画が大好き」ということで“変な子”というレッテルを貼られてしまったことにも起因している。

「他の人とは違う者が、自分らしさを見つけていく」という、世の中の変人への慈愛に満ちたような目線は、言うまでもなく『ビッグ・フィッシュ』でも共通している。主人公が出会う人々の“変わっている”ことそのものをプラスへと昇華したり、その人らしさを認めていく様は、周りと馴染めず疎外感を感じたことがある方にとって勇気がもらえるだろう。そうではないという人にとっても、ティム・バートン監督作品を観れば“変わっている”人との向き合い方について学べることも多いはずだ。

そして、『ビッグ・フィッシュ』のホラ話は「本当の話を誇張しているか尾ひれをつけて話している」というものであるため、例えば前述したホラ話に出てくる巨人は、現実にも存在する“巨人症”であったために実際に孤独であったとも考えられる。

他にも“サーカス団の団長”や“アジア人の女性歌手”のとある“個性”も、現実にあった彼らの“変わっている”ところを拾い上げた結果の設定に思えるのだ。そのように誇張または実際とは違う表現で彼らを語ったとしても、それは本人を傷つけるようなものではなく、その人の“らしさ”を楽しい物語に落とし込んでいるということも、『ビッグ・フィッシュ』の素敵なところだ。

Big Fishポスター映画フランスI 11 x 14 Ewan McGregorアルバート・フィニーBilly Crudupジェシカ・ラング Unframed 352048

全てがハッピーエンドではなかった理由とは

劇中で語られるホラ話は前述した通り、「ファンタジーであるがファンタジーによる解決に頼っていない」という特徴がある。

ネタバレになるので具体的な言及は控えておくが、終盤で主人公は過去に出会った人たちがある過酷な事実に直面していることを知り、その問題の解決のために尽力するが、それでも「どうしても解決できない(主人公が幸せにしてやれない)こと」が1つだけ残ってしまうのだ。これもまた、「全てがウソはなく現実にあったことをベースにしている」からゆえの物語であるからだろう。

その他にも、主人公の人生の物語では「全てがハッピーエンドにはならない」ということが示されている。例えば、学生時代から人気者であらゆる分野で活躍する主人公を見て悔しい思いをしていた幼馴染の男や、巨人をサーカスに迎え入れたおかげで仕事を失ってしまいトラックの荷台に乗る大男の姿は、もの哀しげにも描かれている。終盤の「どうしても解決できないこと」も同様で、それは“残酷な後日談”としても語られるようになってしまうのだ。

主人公のホラ話が「人に聞かせて面白くおかしく楽しんでもらう」ということが目的であれば、そんな残酷な要素を入れる必要はない。では、なぜ彼はそれを自身の物語で示したのか……それは人生で出会った人たちを愛しているから、そして彼自身が「現実では解決できないことがある」という事実から逃げられなかった(逃げなかった)からなのではないだろうか。

「ホラ話をしているはずの主人公が、実は現実の残酷性を誰よりもわかっていた」という矛盾、逆説的に現実を浮き彫りにするような要素が『ビッグ・フィッシュ』には確実にあると言っていいだろう。

余談だが、主人公が旅の途中で立ち寄った理想郷のような町で、人気者の詩人が制作している詩が3行で終わってしまっていて、ひどくつまらないものにしか思えないというシーンがある。これは「楽しいだけの創作物は面白くない」という事実の揶揄であり、主人公がその町を脱出して“困難な道”を選ぶことへの皮肉にもなっている。「人生にはスパイス(刺激)があるほうがいい」とはよく言ったものだが、主人公の語る人生のホラ話も得てしてそういうものだったのかもしれない。

ビッグフィッシュフィルムシリーズ映画ポスタープリントサイズ(30cm x 43cm / 12インチx 17インチ)N2

“本当の物語”をも肯定する映画だった

本作がさらに素晴らしいのは、“ファンタジーであるホラ話”だけでなく、“本当の物語”をも肯定してみせることだ。それは終盤で医者が「息子が生まれた時の本当の話」を聞かせるシーンでもわかるだろう。医者はこの話を「つまらん話だろう?好みによるが俺はホラ話のほうが好きだ」などと言うのだが、息子は「先生の話もいい」と返すのだ。息子がそう言ったのは、本当の物語から父の愛情を知ったからだろう。

ファンタジックな要素で装飾した物語も聞いていて楽しいが、真実を包み隠さずに示した物語にも「それでしかわからない」素晴らしさがある……これが『ビッグ・フィッシュ』が“物語賛歌”である理由の1つだ。しかも、前述した父の物語における「どうしても解決できないこと」に至っては、“残酷な後日談”よりも、“現実で息子が知った真実のほうが救いがある”と言える、(少しだけはあるが)希望が持てるようにもなっているのだ。

そしてクライマックスでは、“ファンタジーであるホラ話”も“本当の物語”の両方を肯定する、父の人生を素晴らしいものであったことを示す最高の感動が待ち受けている。ファンタジーが現実を超え、現実がファンタジーを超えるかのようなカタルシス……! 『ビッグ・フィッシュ』は映画という表現でしかなし得ない方法で、それをやってのけるのだ。

ヒナタカ

WEB媒体を中心にオールジャンルの映画を紹介・解説する雑食系映画ライター。「サイゾー」「女子SPA!」「ねとらぼ」「Cienams PLUS」などで執筆中。おすすめは「リリイ・シュシュのすべて」「ビッグ・フィッシュ」で検索すると1ページ目に出てくる解説記事。

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