「KAWAIIファッションとワンルームって似てる! 」―個性派モデル・紅林大空さんの上京ストーリー
夢を叶えるパワーの源は? モデル・紅林大空さんに聞いてみた

今回は「KAWAII」カルチャーの先駆者として知られる、モデル・アーティスト 紅林大空(くればやし・はるか)さんへのインタビューを敢行!夢を見つけたきっかけや上京時のエピソード、今日に至るまでのストーリーを語ってもらった。
型にはまらない自由さが魅力!「KAWAII」ファッションの楽しさ
「KAWAIIファッションにはルールがない。だから楽しいんです!」
そう笑顔で語るのは、原宿系モデルの先駆けとしてその名を知られる紅林大空(くればやし・はるか)さん。まだ「原宿系」「KAWAII」というジャンルが存在しなかった2000年代から、派手髪に極彩色のデコラティヴなファッションスタイルを貫いている。
Instagramフォロワー数は22万人超、YouTubeのメイクアップ動画は総合再生回数500万回を突破。単なるモデルという枠を飛び越え、デザイナーやミュージシャンとしても活躍。多方面でその才能を発揮している。
好きなもの、かわいいと思うものを自由に組み合わせ、型にはめずに何でも取り入れる。それが「KAWAII」ファッションの楽しさであり醍醐味。現在はSNSではもちろんのこと、海外のコンベンションや国内各地のイベントなどにも登壇し、「原宿カルチャー」の認知を広げるための活動を行っている。
最も影響を受けたインフルエンサーは「おばあちゃん」!?
紅林さんが初めてファッションに興味を持ったのは小学校低学年の時。当時から流行を追うのではなく、人と違うものを着たいという思いが強かったという。
「その頃ハマっていたのは『迷彩柄』。無性に迷彩柄だけで全身をコーディネートしたくなったんです。他の女の子が誰も着ていなくて、カッコイイ!って思って……(笑)」(紅林さん)
そんな少女時代の紅林さんが最も影響を受けた存在は、なんと紅林さんのおばあちゃん。そのファッションスタイルはかなり独特で、髪はビビッドな紫色、大きなグラデーションのサングラスを愛用していたのだそう。
「祖母の世代って、『女といえば質素に、控えめに』という価値観が強かった時代だと思うんです。なのに、私のおばあちゃんはどうしてこんな風に?と、祖母の考えにすごく興味を持ちましたね。自分の好きなものを身に付け、自由にふるまうことの楽しさを祖母から教えてもらった気がします」(紅林さん)
KAWAIIファッションを楽しむために。大切にしている「TPO」
ちなみに今日のファッションのポイントは「TPOに合わせたコーディネート」。
「『シュガー・ラッシュ』の主人公・ヴァネロペが描かれたロンTをメインに、好きなものを散りばめました。ただ、今日は編集部のオフィスにお伺いするので、さっと動けるようにスニーカーとウエストポーチで身軽なコーディネートにしています!」(紅林さん)
自由に好きなものを取り入れる、でも、時と場合に応じたファッションを忘れない。
実はこのポリシーも、おばあちゃんからの教えなんだそう。

「『人様に失礼のないように、お宅に上がるときは脱ぎやすい靴にしなさい。肌の露出は品が無いからよしなさい』って、これまで服装についておばあちゃんからたくさん“ダメ出し”をされてきたんです。だから、未だにヘソ出し・肩出しの服にはチャレンジできていなくて……今でもつい『老人ウケ』を意識してしまいます(笑)」(紅林さん)

18歳で上京。まだ明確な目標はなかった
初めての東京暮らしは、友達とのルームシェアからスタート
静岡県出身の紅林さん。初めて上京したのは高校卒業後、18歳の夏のこと。ファッションモデルとして明確な目標を持っての上京だったのかと思いきや、意外にもそうではなかった。
「当時、明確な目標や夢はありませんでした。ただ、漠然と『自分は画家になる』って思っていましたね(笑)」(紅林さん)
高校時代はデザインを学んでいたという紅林さん。将来はクリエイティブを仕事にしたい、とぼんやりと夢を描いていたそう。高校卒業後は地元・静岡で絵を描いて過ごしていた。
そんな時、先に東京で一人暮らしを始めていた高校の同級生から、こう声をかけられた。
「一人暮らしが寂しすぎる。一緒に暮らそうよ!」
自分のやりたいことは、どこにいても実現できる。そう考えていた紅林さん。二つ返事でOKし、彼女の為に東京で暮らすことを決めたという。突然決まった上京。家族は反対しなかったのだろうか?
「うちの家族は良い意味で“放任主義”なんです。『やりたいことがあるなら好きにやりなよ。でも生活費は自分で工面してね』という感じ。私がやりたいことは決して否定することなく、いつも背中を押してくれる。離れて暮らす今でも、家族はとても大きい存在ですね」(紅林さん)

東京で過ごした「表現者」としての下積み時代
こうして始まった友人との東京暮らし。当時は、毎日が楽しくて仕方なかった。
「同居人は“夜型”で、とてもハイテンションな子。夜、家に帰って来るやいなや『ただいま!今からうどんパーティするよー!』って。二人だからこそ、くだらない話題でもすっごい盛り上がっちゃう。楽しい日々を共有したその友人とは、もちろん今でも仲良しです」(紅林さん)
その頃の紅林さんは、アルバイトで生活費を稼ぎつつ、絵を描きながら「下積み」を続けていた。また高校時代に演劇部だった経験から、自主映画の作品や舞台のワークショップにも足を運び、表現者としての見分を広げていたという。
ファッションモデルとしてのデビューは19歳
そんな紅林さんがファッションモデルとしてのキャリアをスタートしたのは、19歳の頃。「KERA」の読者モデルとして、誌面で起用されたことがきっかけだった。ただ、当時はファッションを仕事にするつもりは全くなかったという。
「ちょうどその頃、一般企業でフルタイムで働き始めました。どちらかといえば、当時の私は『趣味で読モをやっている会社員』。モデルの仕事は、いつかは呼ばれなくなるだろうと思っていたんです。ただ、きちんと生活に必要なお金を稼ぎつつ、楽しく暮らせる限りは、東京での暮らしを続けようって」(紅林さん)

ワンルームはKAWAIIファッションに似ている
同じ頃、約1年間暮らした友人の家を出て一人暮らしをスタート。選んだ間取りは10畳のワンルームだった。
「その部屋をすごく気に入って、実は今でも住み続けているんです。キッチンが分かれた1Kよりも、一つの空間がドンと広いワンルームがいい。冷蔵庫もベッドも、ぜんぶ一つの空間に雑多に並べておきたいんです」
好きなもの、いいと思ったものを一つの部屋に所狭しと詰めこむ。実は、ワンルームはKAWAIIファッションに似ていると紅林さん。
「賃貸物件って、冷蔵庫やテレビはここに配置するんだろうな……って、なんとなく置き場が用意されているじゃないですか?それを無視しちゃうのが好きで!(笑) ワンルームなら自分の好きなものを自由に配置できるんですよ」(紅林さん)

初めての一人暮らしで感じた「自由」と「孤独」
一人暮らしでは、誰にも邪魔されない自由な暮らしを謳歌したそう。しかし一方で、誰もいない空間で暮らす「孤独」も身に染みて感じたという。
「私の場合、進学をきっかけに上京したわけではないので、同世代の友人をどうつくったらいいかわからなかった。一人で暮らすってこんなに寂しいんだ……って思いました」(紅林さん)
そんな時は原宿の街へ繰り出し、新しいものや出会いを探していた。当時は「KERA」の編集部をはじめとした雑誌の「スナップ隊」が原宿に集まっていたのだ。
「写真を撮られる目的で、同世代の女の子たちが原宿に来ていました。原宿に行けば誰かに会えるから、寂しくなかったんです」(紅林さん)

モデル一本でやっていこうと決意した23歳
当初、ファッションを仕事にするつもりはなかった紅林さんだが、23歳の頃に勤め先を退社。モデル一本でやっていく決意をする。
「モデルとしての仕事が増え、忙しくなってきた頃でした。ちょうど『YouTuber』や『インフルエンサー』という言葉が登場し始めた時期。これからは、生計を立てるためにどこかに所属する必要性はなくなっていくのではないか?と感じたんです」(紅林さん)
当初はモデル事務所に所属していた紅林さん。しかし紅林さんが予感したとおり、自身を介してさまざまな方面から仕事の依頼が舞い込むようになる。当時23歳にして、何という先見の明!
「誌面モデル以外に、テレビCMやMVなど、映像のお仕事もいただけるようになりました。制作側の『いかにも“原宿”な人、誰かいない?』というニーズに、私がマッチしたんだと思います」(紅林さん)
読者モデル時代は、声が掛かった仕事の中から選んでこなしていたという紅林さん。次第に、「もっと主観的に、自分だからこそ発信できる情報があるのでは?」と思うようになり、「個人メディア」としての活動をスタートさせた。
「これまでのファッションモデルは、写真や誌面上で素敵に見せることができていればよかったかもしれません。でも、今は違うんですよね。読者やファンとSNSで繋がれるようになったことで、より身近でリアルなモデルの一面を知ることができる。表面上だけでなく、中身がないと興味を持ってもらえないんです」(紅林さん)
絵だけでは足りない。モデルだけでも足りない。
でも、自分自身に価値があれば、描いた絵や自分の言葉にはもっと価値が生まれる。
そう信じ、紅林さんは今日も自分の言葉でメッセージを発信し続けている。

自分を曲げない。紅林さんの「強さ」の源ってなんだろう?
初めて東京に出てきた10代の頃。紅林さんには明確な夢や目標がなかった。
「でも、自力で生活できている限りは、自分が楽しいと思うことや好きなことを続けたい!っていうスタンスは、当時からずっと変わっていないんです」(紅林さん)
やりたいことを貫く。言葉にするのは簡単だが、実行するのは難しい。紅林さんもこれまで、否定的なコメントを浴びせられることもあったという。
「大人の方から『もっと若いうちから始めなきゃ、実現しないよ』『嫌なことを率先してやっていかないと、仕事なんて来ないよ』って言われたこともありました。実家にいたころは自分の意思を否定されたことなんてなかったのでびっくりしました。自分の責任でやりたいことをやっているのに、どうして否定されるんだろう?って」(紅林さん)
もちろん、心が折れそうになることも幾度もあった。
「それでもここまで来れたのは、私を信頼してくれている人がいたからかな。家族も、友達も、仕事で出会った人たちも。くじけそうな時、私の価値観を信じて応援してくれる存在があったからこそ、やりたいことを貫くことができたんだと思います」(紅林さん)
紅林大空さんから、新生活を始めるあなたへメッセージ

最後に紅林さんから、夢に向かって踏み出す人へメッセージをいただいた。
「新生活を始める皆様、おめでとうございます。新しい場所で、新しい人たちと、自分だけの空間を持つことに、きっと期待で胸を膨らませていることと思います。
一人暮らしを始めたら、いろんなことを考え、自分に費やすことができる時間が増えるでしょう。自分の思ったことを信じて、ぜひ最初のうちから、好きなこと、やりたいと思ったことに挑戦してみてください。
誰かに言われたからといって意見を曲げたり、やりたかったことを選択肢から外すと、後から絶対後悔します。あのときやっておけば良かったって思うのが一番もったいない!」(紅林さん)
紅林大空さん 公式サイト:https://90884.tokyo/
twitter:@90884
Instagram:@kurebayashiii
文・写真=編集部